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つっPの“似非(エセ)”俳優修業
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 「役者」になる気持ちが“1ミリ”もない私が、>何故“似非(エセ)役者”として舞台に立っているんだろう?しかも、今「役者」になるためのワークショップにまで首を突っ込んでしまっている・・・・そんな“自分”と向き合いながら、作り手或いは観客の求める「役者」に、果たしてなることができるのか。そんな私の人体実験・実地検証的記録を残しておこうと思う(笑)。
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“親”はなくとも、“子”は育つ・・・・!?

2018/08/17 13:31
 俳優館公演『コーカサスの白墨の輪』も、無事千穐楽を迎えてから1週間
初日から思い起こせば、早2週間・・・・月日の経つのは早いもの。しかし、今回の舞台を通して「演じる」(役を)、或いは「見(観)る」
“民衆”という「コロス」の一員として)中で、感じたこと・考えさせられたことは、今でも鮮明に蘇るし
日を追うごとに、それは一層強くなる・・・・

まぁ、それだけ“現実”が余りにも“ひとでなし”たちの手で、思うが儘に動かされていることの証拠なのだが(苦笑)。

 そこで、“小屋入り”から初日を迎えるまでの“迷走”、そして千穐楽までの“必死”の毎日の記録は一旦
さて置き
、ここでは、私なりに感じ・考えた『コーカサスの〜』について書いてみたい。



  筆者(私)が、舞台上で、特に12場「白墨の輪」の裁判の場面で「弁護士1」を演じている間、
ずっと心に引っ掛かっていた
のは、この作品のテーマである、

 “本当”の“母親”は、誰か?(←既に、このブログの第一回でも触れているが)

ということであるが、実はそれ以上に感じたのは、

 “本当”に“母親”が必要なのは、誰か?

ということであり、それが今回のなかさんなりのブレヒト解釈ではないか、と思わずにはいられなかった。


 では、“本来”のテーマである、“本当”の“母親”とは何か?

これについては、「グルシェ」の裁判での陳述で既に答えは出ている筈である。


 
私は、いつもこの子に食べるものを、そして家も見つけてやりました。
 この子のためにありとあらゆる苦労を背負い込んで、お金も使いました。
 あの子が誰に対してもやさしさを持つように躾け、
 できるだけ自分で働くことを教えてきました。

                                (上演台本より)




 確かに裁判官「アツダク」ならずとも、

 「たったそれだけか?

 
 と反駁されるだろう。しかし、

  “親”が子どもを産んでから
 
その子が“親”になるまでの間に、“親”ができる全ての、“最善”

この台詞に見事に凝縮されていることも、紛れもない事実であろう。

 確かに、口先だけなら「何もかもミヘルのため」と、“実母”「ナテラ」は言う。
 
 しかし、それをキチンと行動で示すことができたのは、“育ての親”「グルシェ」に他ならない

今回は、上演時間の関係装置にお金が掛けられない・・・・という“現実”での苦渋?の選択)からカットされた原作での「グルシェ」が辿った“苦難”の道のりは、

それこそ、“何もかも”「ミヘル」のために「グルシェ」が敢えて選んだ

“善への誘惑”に対する、“代償”であったかもしれないが、

その“苦難”を乗り越えたからこそ、「グルシェ」は、堂々と「ミヘル」の“母親”を名乗ることのできる

“したたかさ”(「ミヘル」への“愛”が根底にある)を身に着けたのではなかろうか。

 そして、もう一つ大事なことは、

「ミヘル」のため、そして「ミヘル」に愛情をもって向き合う「グルシェ」のために“協力”する

「シモン」や「料理女」の存在の大きさである。

裁判で、“彼(女)ら”は「ミヘル」のために敢えて「家族」を「演じる」

しかし、“偽装”だった筈の“彼(女)ら”がいつしか誰が見ても“本当”の「家族」のようにしか映らなくなる

それは、「グルシェ」ができない分は自分たちで代わりに“親”としての務めを果たそうとする、

“彼(女)ら”の、“親”としての自覚の表れである。
 
 つまり、“周囲”或いは「社会」が“親”としての責任を分かち合ってみんなで「育てる」・・・・

この「共助」“口先”ばかりの「アベノミクス」とかに非ず!) こそが「子育て」に於いて大きな位置を占め
ている
ことをブレヒトは70年前に見抜いていたのだ

周りが“親”としてキチンと子どもに向き合うことができていれば、

 ・・・・“親”はなくとも、“子“は育つ


のである。それ以上を要求すること自体が、誤った、“おとな”の“エゴイズム”ではないのか!



 その一方で、“本当”に“母親”が必要なのは、誰か・・・・

今回の舞台を御覧になった方はもうお解りであろうが、

それは、“生みの母”である筈の「ナテラ」である!


 “母親”である以前に、(悪い意味で)“子ども”のまま“おとな(大人)”になってしまった彼女が、“母親”になってしまったことが、最大の不幸(或る意味で、“悲劇”)だったのではないか・・・・

 ただ、「ナテラ」について考えてみる時(これは、「グルシェ」と対照的に、と言う意味で)、

“いま”・“現在”起こっている「子育て」や、「親」と「子」の関係という問題にも大きく関わってくるであろうし

(ブレヒト“大先生”が、“いま”の時代に生まれていたら、この問題に着目していたのではないか?)、


筆者自身、どうしても一言物申したい“想い”があるので、続きは、次回としたい(苦笑)。



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大詰、そして“最終通し”へ

2018/08/03 00:22
【稽古場日誌より・・・・】


 稽古もいよいよ、大詰。

 7月27日 17:00集合(私は、17:35頃入り)の予定が、人がほとんどいない

 18:00〜19:00 前日の“ダメ出し”続き/ステージング確認
          歌稽古←㉒‐B

 19:10〜21:00 “止め通し”(だが、“止め”ほとんどなし!

※水原“あっきー”さん・荒木“みぽぽ”さん欠席、遅刻(20:30予定)の山浦さんも・・・・
 
 今回から、楽師チーム(大野先生・麻美先生・“卓思君”こと渋川先生)が下手奥
の定位置(A奥)へ。“本番”を想定した生演奏付き稽古。


 21:00〜21:30 “小返し”
 21:30〜 バラシ・解散


 7月28日 恐れていた“Xデー”
台風12号上陸(東海地方接近)の中の、“通し”!

 13:30頃、稽古場入り。間もなく(13:40〜)前日の“止め通し”の“ダメ出し”開始。

 ※ステージングの“ダメ出し”については、人員変更(増量)とみか先生の演出に“ズレ”が
生じた
ため、“小屋入り”後の直しへ変更

 引き続き、歌稽古。

 16:10〜18:00 “通し”。
上田さん欠席
18:00以降入りのため)、

代役は「修道僧」を山浦さん「アツダク」は9・10場を“すず”さん/11・12場を高橋さんで分担。

 19:00以降しか来られない猪子さん(「姑」)の代役は
・・・・まさかの、長谷川さん!

「ナテラ」の衣装のままで、見事に「姑」になっているから、驚く・・・・というよりも、

この“カオス”が楽しい(笑)

 18:00〜 歌稽古(㉒‐B、及び歌手チーム)を進めながら、同時進行でバラシ。

 ※18:30 解散。←台風接近に備えて・・・・JR中央線、21:00以降は運休へ
 
私は、19:08名古屋発快速中津川行に乗って帰宅!


 7月29日 いよいよ、“最終”稽古日!
 
 朝からの“快晴”が一転、中村公園駅を下車してアクテノンへ向かう途中から・・・・
強風と雨に直撃。ずぶ濡れになって走って大急ぎで、13:15入り。

 13:00〜 前日の“ダメ出し”の最中。まず、中矢さん(衣装)・みか先生(ステージング)
それぞれの“ダメ出し”。その後を受けて、なかさん・宮部さんから・・・・(〜15:30まで)。

 15:30〜17:00 “小返し”と歌稽古。

 ※17:00〜18:00 休憩(夕食)。

 18:00〜19:50 最終“通し”。

 ※“通し”終了後、着替え(退館準備 〜20:00)て、“ダメ出し”(20:00〜21:30)。

 21:30〜 解散・搬出手伝い(〜21:50まで)。

 ※帰りは、上田さんの御厚意に甘えて

名駅・笹島交差点まで送っていただく。同乗者:早川さん・飯尾さん・猪子さん。


・・・・これにて、『コーカサスの白墨の輪』は、稽古日程を終了

いよいよ、“小屋入り”

いざ、ちくさ座!!


 

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色々、“追い込まれて”います!(苦笑)〜後篇〜

2018/07/29 08:56
 〜続き〜

 伏見駅(@地下鉄東山線)で、ふと気が付いた。

・・・・だ、台本がない!そして筆入れも。

 千種駅(@中央線)を22:47発中津川行(快速)に乗らなければ

家に23:30までに着けない・・・・

 軽い“パニック”に陥り、慌ててスマホから俳優館さん宛てにメールを送信。
その時のメールがこちら(笑)。

 
明日(24日)、スタジオが日中開いている時間をお知らせください。

 ・・・・台本と、筆入れ袋を見事に置き忘れてしまいました!

 申し訳ございませんが、よろしくお願いいたします。
アクテノンに行く前に取りに伺います。




 メールを打ちながら、
46歳にもなって、何やってるんだか・・・・」


 と自嘲気味になる・・・・



 明けて、24日。出発前に、俳優館さん(団員の志村さんに、・・・・多謝!)からメール。

 水原さんが台本と筆入れをアクテノンまで持ってきてくださる、とのこと。

 
土本さん(私)は、そのままアクテノンにお越しください!



 には、涙が出そうになる(苦笑)。


 閑話休題。24日は、22日の“ダメ出し”の続きと、“小返し”。

主に、1場の後半と8・9場(転換込み)、そして位置確認(6場の「婚礼」と10場の「広場」の民衆)。

 そんな中、衣装から追加案件が・・・・

 「カツベキ」だけでなく、「イラクリ(山賊)」にも、付け髭
・・・・え、ぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?????


 ゴムで耳に掛けるため、耳が痛いのと、
毛がかなり口に入るとのこと(長見氏談)・・・・



 ま、マジっすか!?

 ※実際、先日(28日)の通しで初めて付け髭を装着したが、
確かに、・・・・辛い(つらひ)



 そして、運命の25日(苦笑)。

 16:30〜17:30 12場の“小返し”。
これまで、稽古がなかなかできなかったため、
「ナテラ」(領主夫人で、「ミヘル」の“実母”だが・・・・)と「弁護士」との“関係性”が上手く構築
できず
場当たりで探っていことに。


 18:30からの“小返し”開始に合わせるため、休憩(夕食)。

 稽古中(は勿論のこと、“本番”も!)の食事は、食べ過ぎない程度にサンドイッチ程度にして
いるのだが、この日もサンドイッチを一つ摘み、ペットボトルのコーヒーを一口飲んだところ・・・・

 暫くして、急に・・・・腹痛と、猛烈な○意に襲われる!

 結局、1時間で3回もトイレに駆け込み、最大で10分籠ることもあってか、出てきたときには、

 脂汗を流し、顔色は“真っ白”に!!



 結局、“小返し”(1場・6場・10場の転換 〜21:00まで)と歌稽古(転換絡みの歌)も気力で
何とか乗り切り
、“バラシ”を手伝って、解散(21:40)へ・・・・


 しかし、帰り際に森さん(俳優館プロデューサー、役者さんでもある)から
チケットがまだ1枚しか職場でいつもお世話になっている方から、初日を一枚お買い上げいただいた)
売れていないことで、発破をかけられてしまう。・・・・違った意味で“追い込まれる”(苦笑)。


 “腹痛”と○意は、翌日まで長引く。後で振り返ってみると、原因は前日の昼食の、

 “皿に山盛り”
キュウリトマト!!!!以外にあり得ない

 この時、お腹が一杯になるとともに体が冷えてしまう感じがしていたのだが、
炎天下のアクテノンへの移動(中村公園駅@東山線から、徒歩10分!)で、感覚がなかったのだ!

 昔、地元の図書館で司書(臨時職員)をしていた頃、人気の「薬膳」の本の、
中でも、キュウリとトマト料理の本にこんなことが書いてあったのを読んだ記憶が・・・・

 夏場、冷えたキュウリやトマトを食べ過ぎると、身体を冷やすことになるので要注意

 ・・・・皆様も、この殺人的な(“人災”とも言われているそうな)猛暑・酷暑の中、

 冷えたキュウリトマトの、
食べ過ぎには御注意を!!

 26日は、集合(17:00)から1時間半もの間、何もできず!(苦笑)

 結局、19:00まで休憩(夕食だが、何も食べられず)後、 

 全場の“通し”(19:10〜20:50)と、“ダメ出し”(〜21:30)で終わる。
※「料理女」&「アニコ」(“兄嫁”)の山浦さんが間に合わなかったため、この役のみ
“代役”を立てて乗り切る。

 次回、“通し”は歌指導&「楽師」の麻美先生の都合で28日の16:00以降開始ということに。
ただ、28日は「台風12号」が上陸・東海にも接近する恐れがあるため、“不安”が過る・・・・


 そして、稽古も“大詰め”へと向かう・・・・


 


 
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色々、“追い込まれて”います(苦笑)!〜前篇〜

2018/07/29 00:38
【稽古場日誌より・・・・】

 7月22日 衣装付きの“通し”稽古 (アクテノン@稲葉地)
 
 7月23日 “自主”稽古 (俳優館スタジオ@伏見)


 7月24日 22日の“ダメ出し”続き&“小返し”(アクテノン@稲葉地←以下、特記なき場合は同じ
 7月25日 “小返し”&歌稽古

 7月26日 通し稽古&“ダメ出し”


 “本番”まで1週間に迫り、稽古も“追い込み”なのだが、なかなか人が集まらず
集合時間の変更や、“自主”稽古(というか、“自主練”)での対応となる。


 ここまで、ザックリと整理しておくことにする。


 まず、22日。衣装担当の中矢さんによる衣装合わせが、1時間(18:00〜19:00)。
私は、名大図書館の今月最後のシフト勤務(8:30〜17:00)終わりの駆け込み参加
そこで基本衣装を着用した上で、登場する場面に合わせてのオプション衣装を着て
撮影してもらう。その時、6場での「婚礼」で村人としてお招きに預かる際に着ける
ピンクのストールをもらい、それを「腰に巻く」か、「頭に2回巻いて結ぶ」かどちらかにして
くれとの指示・・・・一応、「腰に巻いて」、“チェック”していただいた所・・・・

 全然、ダメ!・・・・もっと研究してください、との御託宣。

 しかし、何を研究したらいいんですか〜・・・・と聞こうとしたところいつの間にか退出して
しまわれた後


※結局、“今”に至るまでネット画像で検索してみるのだが、これだ!というものが見付からず


 19:10〜21:00 初めて衣装を全て着用した上での、通し稽古。記録用に映像撮影。

 ※通し終了後、着替えを済ませ(いつでも、退館可能な状態にするため)、バラシ
→・・・・からの、“ダメ出し”。21:50 中断して解散。

 23日は、本来は、稽古休みなのだが、“通し”はやったものの、これまで稽古できなかった
(特に、12場!・・・・欠席者が多かったため)を中心に、“自主練”しましょうということで
話が纏まったものの・・・・人がほとんど集まらない!!

 13:00からスタジオは開いていて15:30をメドに民衆の出捌けの練習をする筈が・・・・小道具製作のお手伝い

 水原さん(“あっきー”さん、女子チームからも惚れられる?凛々しい「副官」殿役@俳優館)の指示の下で、“ぶきっちょ”な私も槍の穂先の銀塗りのお手伝い。

  奥では、工藤さん(6場での、ペルシャ兵からもらったショールを被っての
「いいでしょう?」・・・・の“ドヤ”顔がイイ!)がトウモロコシの色塗り、短刀の黒い部分の塗りとデコは、“つむつむ”ちゃん(「マロ」役。まだ中学2年生ながらしっかりした女優さん!)の担当。

・・・・そんな面子が、音源を聴きながら合唱練習しながら小道具作り・・・・な、なんと“カオス”な(笑)!!

 その後、“ジョナサン”中村さん&高橋さん(いずれも、劇団獅子@名城大)に、
猪子さん(姑=「ユスプ」の母)に、上田さん(「アツダク」&・・・・“生臭”坊主の修道僧)
も加わって、・・・・歌うたいながら、請願書作りに、酒瓶作り(水筒に紙粘土を貼り合わせて、瓶に造形)、と“カオス”は続く

 18:30になった途端、“ジョナサン”、まさかの御帰宅(前期試験期間中のため!)。

 そろそろ、稽古スタート。7場の「ユスプ」の入浴場面の遣り取りから・・・・
 
 河合さん(「ユスプ」&「シャウワ」)に“すず”さん(「グルシェ」)も加わり、上田さんの
演技指導の下、7場が俄然“面白く”なる。特に、

 「 ・・・・そこは、“背中”じゃねぇ!

という即興演出は、後から来た長見氏(「ラブレンティ」・・・・&「カツベキ」笑!)にも“大ウケ”

※その後“現在”の稽古でも使われる“鉄板ネタ”であるが、これ以上は・・・・劇場で是非、御確認を(笑)!!

 19:30〜20:30 6場前半(「ユスプ」の家での、「婚礼」)の“自主練”。
 
 20:30〜22:00 12場(「白墨の輪」の裁判)の“自主練”←やっと!
 ※そもそも、上田さんの提案で、そのための“自主”稽古だったのだ!

 その間、小道具も一段落してからは、場面転換の役割分担の記録を取っていた
高橋さんが20:00に、“15歳未満”の“つむつむ”も21:00に帰宅・・・・

 上田さんの演技指導は、笑いとともに色々と考えさせられることも多い有意義な時間
・・・・が、時の経つのは早いもの(笑)。あっという間に退館時間が迫る

 結局、この場にいる面子で「民衆/コロス」の出捌けの“学習”用動画を撮影しよう
ということになったのだが・・・・私は帰りの電車に間に合わせるため、

 御免なさい、失礼します・・・・お疲れ様でした〜〜〜〜っ

 
と、慌てて退館。

 しかし、この時、私は気付かなかった。大事なものを置き忘れてしまったことを・・・・

ここから、私は色々と“追い込まれて”いくのである(苦笑)。


〜続く〜


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“根拠”を持とう・・・・「俳優」よ!?

2018/07/21 08:58
【稽古場日誌より・・・・】

 本日(7月20日)は、前日(※)に続き俳優館芸術監督のふじたあさや氏
立ち合いの下での稽古
(アクテノン@稲葉地)。
ただ、人数が揃わないため
前日の「通し稽古」での“ダメ出し”を受けての、“小返し”という形で稽古開始(16:00)。

※前日(19日)の「通し稽古」は、名大図書館のシフト勤務だったため、欠席。


 前日の“ダメ出し”が相当多かったようで、しかも“代役”を立てての稽古だったことから、“代役”を務めた方に聞かないと、前日の“ダメ”(言い換えれば
“アドヴァイス”)がどんなものだったか、摺り合わせができない・・・・

 “不安”を抱えたまま、1場の“抜き”(領主「ゲオルギ」絡みの場面。
ふじたさんから“執拗”に、しかし“的確”な“アドヴァイス”を受けていた、
すぎうらさん・・・・お疲れ様です!)から2場と来て、何と4場冒頭ではないか?

 ・・・・えぇぇぇぇぇ〜〜〜〜!?????

 “不安”的中(苦笑)!。なかさんからふじたさんに、「今日は“本役”ですので」
という一言があっての・・・・スタート!

 常になかさんから言われている、台詞に“間”を作らず、“間”を詰めて、子供
(「ミヘル」・・・・一旦、「グルシェ」に“棄てられ”てしまう!!)を巡る夫婦の遣り取り
を作っていく・・・・ということに注意しながら、やってみる。


 なんとか、やり切って“ホッと”したのも束の間・・・・

 「あなたは、いつ、子供を見て、気付いたのですか?」

とふじたさんから質問が!!

 “ホ、ホェェェェェェェェェ・・・・・”(©カードキャプターさくら・・・・笑)

内心の“不安”を押さえつけながらも、自分が考えた「演技プラン」(というよりも、
なかさん曰く、「台本」の“行間”の埋め方)について、問われるままに話した所、

 「あなたの考えはわかりました。ただ、もっとそれが見えるようにしてください」

との、ふじたさんからの御言葉。

 つまり、こういうことなのである。(引用部分は上演台本)


 
農婦  (出て)   あんた!
 農夫  (出て)   スープぐらいゆっくり飲ませろ。

 
※農婦が玄関に“棄てられて”いる子供を見つけて、夫を呼ぶのだが、
夫は食事の最中にいきなり大声で「ちょいと、あんた!」と呼ばれるもの
だから、嫌々出てくる。「スープぐらい〜」という台詞がこれだけで活きてくる


 そして、「スープぐらい〜」と愚痴をこぼし口を拭いながら、ふと子供と
目線が合う。子供が“可愛い”のは当たり前子供につい情が移って
ほだされそうになる
のを・・・・心を“鬼”にして

 
農婦  おっかさんはどこだい?男の子だよ。こりゃいい家(うち)の子だ。
 農夫  坊さんとこへ連れてけ。

 農婦  この子には母親が必要だよ。

 


※妻の気持ちもわからないではない、子供だって“可愛い”。でも“面倒”
な事(1場終わりで、領主打倒の“クーデター”の首謀者「カツベキ」によって、
「ミヘル」捜索に懸賞金が掛けられているに巻き込まれたくないから、

 
農夫  駄目だ!

 農婦  籠がひとつあればいいんだよ。ほらごらん、笑ってる。
     (子供を連れて入る)

 農夫  (ついて入る)

 


※結局、育てる気満々の妻に“根負け”して、
「・・・・しょうがねぇなあ(、あとあと、“面倒”なことにならなけりゃあいいがな、)・・・・・」
と言いながら(台本にはない)退場。

(結局、農婦は「グルシェ」との“約束”を破って、子供を“棄てて”しまうのだが)


 僅かな時間の会話でも、これだけの“こころ”と“からだ”の「動き」があるのである。
それを「見せる」ことで、観客にも伝わる。そして、その「動き」には“根拠”がないと
ダメなのだ!
“根拠”があって初めて、「動き」が見えてくる、と同時に“相手”の「動き」の“根拠”を引き出しやすくなる。


 ・・・・目から“鱗”が落ちる、とはまさにこれだ!(笑)

 ふじたさんが、私たち「役者」に求めているのは、“根拠”を伴った「動き」=「演技」であって、
その「動き」が(台詞も含めて)、台本や演出通りの“お約束”になってはならない
ということなのである。

 それは、4場後半の兵隊トリオと「グルシェ」、或いは「グルシェ」と農婦の遣り取りについても
同じ
である。


 結局、本日の稽古は休憩(30分)を挟んで、子役参加の8場、それから上田さんの入り
(20:00)を待って9場。そして11場・12場の“捌け”までで、時間切れ(21:40)。

 しかし、ふじたさんの“アドヴァイス”から学んだことは、大きいし、より「ブレヒト」に
近付いている
ことを実感。最後に、ふじたさんからの提案で、完全に「ブレヒト」仕様
にするため
「民衆」(役がない時の、基本形)はずっと“板付き”、というか客席と
舞台との段差で終始待機し、着替えもその場で、観客の観ている前で行う
(ただし、“上流”階級の役については、一度舞台から完全に離れて、舞台奥で着替え)
という、方針に変更となった。


 ふじたさん曰く、舞台上での“芝居”を見ていた「民衆」が、次の場面で自分たちの考えを
伝える
、というような舞台にしたい、とのこと。


 ・・・・これは、想定を遥かに超えた凄いものになりそうだ(笑)。

 “今”だからこそ、“いま”しかできない・・・・“ガチ”な、「ブレヒト」!


 乞う、御期待!!(笑)

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“似非(エセ)”役者より、お願い・・・・

2018/07/16 01:22
 実は、“恥”を覚悟でぶっちゃけますが、
私(つっP)が自分のことを“似非(エセ)”役者と呼ぶ本当の理由

それは・・・・

(ノルマの有無に関わらず)チケットを売る(捌く)ことが何よりも
苦手、ということ(苦笑)
。チラシや案内を送ることはできますし、現に
やっているのですが、そこから先のあと“一押し”が・・・・
 
どうしても、“無理”にでも観ていただけるよう、という“気持ち”だけ
はある
のですが、相手の都合ばかりを気にし過ぎて・・・・来ていただける
のを待つだけ
、・・・・という・・・・その結果、“なしのつぶて”に終わってしまう
で、次に“望み”を繋ごうと・・・・“他力本願”の“悪循環”で、チケット回収、
“本番”を迎える
、という非常に不甲斐ない結果に終わるのです。

 もう一つ“白状”すれば、遅ればせながらこのブログを始めたのも、一人でも
多くの方に、この夏、名古屋で、こんな「ブレヒト」観たことがない!、「ブレヒト」
って、“ゲス”だけど、面白いし、考えさせられる
・・・・そう、興味を持っていただいて、
劇場に足を運んでいただきたい
・・・・という、“下心”見え見えの、“他力本願”
に他ならなかったのです。

 それでも、このブログを読んで、「ブレヒト」に“1ミリ”でも興味を持っていただいた方に、
是非とも、劇場へ足を運んで欲しい!観たら、“絶対”損はさせない!
それだけ、“面白い”し、“今”だからこそ観て、考えて欲しいのです。


 興味を持たれた方、更に一歩踏み込んで生の舞台を観たい方は、
以下の、予約フォームのページにお進みください。


【土本隆弘扱い 予約フォーム】

http://www.quartet-online.net/ticket/caucasus8?m=0igegii


まで。予約は、会場取り置き・当日精算でも構いません


“似非(エセ)”役者から心より、伏してお願い申し上げます


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“心やさしい”「非人間」と、「悪鬼」と・・・・

2018/07/11 10:39
【稽古場日誌より・・・・】
 先週出席した稽古日程は以下の通り(アクテノン@稲葉地)。
7月6日 前日(5日)のステージングの返し・・・・1場
7月7日 夕方(18:30頃)からステージング稽古・・・・8場まで
※7月4日は、抜歯のためお休み
 7月5日と7日(12:30〜)は、名大図書館のシフトのため欠席。


〜ここでは、7日のステージング稽古を見ていこう〜

 前半は、ヒロイン「グルシェ」中心の物語であるため、稽古も「グルシェ」の場面には当然ながら
力が入る。
 それもそのはず、前半のキーワードは、“善(意)”

 この“本来”ならば「人間」として当たり前の“感情”或いは“行為”が、

ここでは「恐ろしい」もの(だからこそ、歌手たちによって「“善”への誘惑」と歌われるのだ!)、

“芝居”の中の“現実”にはあり得ない、云わば“例外”であり、

この“例外”的な行為故に「グルシェ」は、


後に裁判で“実母”「ナテラ」(領主夫人)から訴えられるのである。


 しかし、

 何故彼女が「“善”への誘惑」に負け、子ども(「ミヘル」)を育てることになったのか、


ここに至る心の迷い(“葛藤”)を見せておく必要がある。

 
 そして、この“葛藤”を通して、「グルシェ」の“母性”への目覚めを見ると共に、

後半での、ブレない“信念”・“愛情”を持った“したたかな”(“生命力”溢れる)「母親」


としての「グルシェ」の“成長”に繋がる・・・・

というのが、今回の一つのテーマであろう。
 
 
 稽古を見ていて、ふと心に引っかかった部分がある。

それは、4場でたまたま通りかかった農家に「ミヘル」を置き去りにしていく場面での、
歌手と「グルシェ」の問答歌である。
 
 まず、歌手が問う、

なぜ、嬉しいのか?娘よ」と。
 
 これに対する「グルシェ」の返歌は、

「可愛いあの子から、“自由”になったから」。
 

 また、歌手が問う、

なぜ、悲しいのか?娘よ」
 

 「グルシェ」の答え、

 「ひとりで“自由”に、町に帰れるから」

 

 ここで、何かが引っかかる・・・・これって、変。


 これって、何か“逆”じゃね!?



〜稽古場で、ふと感じたことを、“今”考えてみると・・・・〜

 この場面に至るまで置き去りにされた「ミヘル」を拾って育ててきたばかりに

ロクな目に遭っていない、云わば“貧乏籤”を引かされてばかりの「グルシェ」にとって、


「ミヘル」は“厄介”な“お荷物”でしかない。

 

 そんな“お荷物”なんかさっさと打っ棄って“恋人”(「シモン」)の元へ行こう


・・・・あ〜あ、“清清(せいせい)”すらぁ!

となる筈で、


ひとりで“自由”に、町に帰れるから嬉しい


となるのが、より自然の筈である。
 
 
 
 勿論「可愛いあの子から、“自由”になれるから」も「嬉しい」筈で、

であるならば、何も「悲しい」ことなどない筈である。


にも関わらず、何故「悲しい」と歌われるのか?
 

 この時「グルシェ」は彼女の中で初めて生まれた“葛藤”を感じるのだ。

これまでは、“恋人”に再び会うことだけしか眼中になかった

たとえ、「ミヘル」が棄てられたままであっても、自分が見付けなければ、



“かわいそう”と“同情”することはあっても、

そこで止まって、そこから“先”へ進むことなど思いもしなかった筈である。
 

 というよりも、「戦争」に明け暮れる「グルジア」の“現実”に於いては、

これこそが“当たり前”の生き延びるための“処世術”

(或いは、これを“原則”と呼んでもいいだろう)であり、

それに反する行為をする者(つまり“例外”)は、まずあり得ない

もしいれば“異端”或いは“悪人”のレッテルを貼られるに違いない。


そんな“世界”に生きている「グルシェ」が、

「ミヘル」と“出会い”、拾って育てる・・・・

そんな“あり得ない”ことが“現実”に起こったことで、彼女は気付くのである。


 たとえ、「ミヘル」を棄てることで自分が“自由”になれたとしても、


 この子には「生きる」ための“自由”がない。


 この子が“自由”に「生きる」ためには、

この子を守り、育てるもの=“母親”の存在が必要なのだ!

 
 自分の“自由”よりも、

 「生きる」ことさえ覚束ない子どもの“自由”を選んだ時、

彼女の中に生まれた“母性”(という、“人間らしさ”)が、

いつしか彼女に「生き(延び)る」力=“生命力”を与え、

彼女自身を成長させていく
のである。
 

 だからこそ、「ミヘル」を棄てて、「ひとりで“自由”に、町に帰れる」ことが

悲しい」と、“素直”に歌うことができるのではないか。


 しかし、“現実”には、「グルシェ」と「ミヘル」を巡る“世界”は、

“自分”のことに精一杯で、彼女らに対しては冷たい

 「優しい兄」である筈の「ラヴレンティ」でさえ、“現実”には、

“世間体”(と妻「アニコ」)の目を気にしてばかりの、哀しい“婿養子”でしかないのだから!

※“好人物”の長見氏には、申し訳ないが・・・・

 
 これこそ、“心やさしい”「非人間」(野村修/註1)であり、


前半はまさにこうした「非人間」(或いは「ひとでなし」)の見本市


といった感すらある(苦笑)。

 
 そして同時にこの作品を執筆していた頃(1944年)のブレヒトから見た時、

自分が“亡命者”という“卑怯”(“現実”のナチス・ドイツから逃げた=“現実逃避”)な立場

にいたからこそ、より“現実”が見え、切実に感じていたのではないか。
 

  たとえ、「戦争」さえなければ“善人”でも、

「国家」のためにの筈が、いつしか「ナチス」(或いは「ヒトラー」)に協力・加担してしまう


“心やさしい”「非人間」の存在こそが、

“独裁者”を助長させてしまう、という本当の“現実”を・・・・

 
 ※しかも、“性質”の悪いことに、こうした人たちの大部分が、

かつて自分が犯した“罪”を

「ナチス」或いは「ヒトラー」(これを他の“独裁”国家に置き換えることもできよう)の“狂気”

に“安易”に責任転嫁をして”不都合”な“現実”から目を背け続けたのである。
 
 

 それに対して、ブレヒトはアメリカ亡命中にこんな詩を書いている。


 
 
「悪鬼の面」(全文/野村修 訳)  (註2)
 
 ぼくは壁に日本の木彫りの面をかけている
 金泥をぬられた悪鬼の面を。
 ぼくは見、ぼくは共感する。
 ひたいの、ふくれあがった静脈が語るのは
 悪人であろうとする渾身の努力。

 

 

  かつて『三文オペラ』で「人間が人間らしく生きるためには」という問いに対して、


 「人間らしさを捨てること


と答えたブレヒトの“確信犯”ぶりは、相変わらずどころか、より痛烈である。


 “亡命者”である“卑怯”な立場ブレずに貫く(演じる)ことで、

“現実”と向き合い、批判するブレヒトの“したたかさ”と、


 「悪人であろうと渾身の努力」

をする「悪鬼の面」のそれ(“現実”という「壁」に必死にしがみついて生きる

と重なると共に、

その“したたかさ”或いは“生命力”が、後半の主人公の「アツダク」
や、“母親”へと成長した「グルシェ」にも乗り移り、宿っているのではないか、とさえ
感じるのは私だけだろうか?

 ブレヒトは、「グルシェ」や「アツダク」を通して、“私たち”に“選択”を迫る

“保身”のために、

何の違和感も覚えず「非人間」(“ひとでなし”)となるのか、

それとも、たとえ「悪鬼」とよばれても

自分の“人間らしさ”をブレずに貫くことができるのか?


 “私たち”が生きている、“いま”、“この国”或いは“世界”で、

 「人間」そのものさえが“偏狭”になり小さくなりつつある“現実”の中で、

“私たち”一人ひとりの「生き方」が問われている。

 
 それこそが、『コーカサスの白墨の輪』の“本質”ではなかろうか。


〜再び、稽古場に戻ろう。〜

 稽古は、5場の直前の「グルシェ」の“苦難”の旅の演出が続いている。

彼女が“本当”に闘うべき相手は、険しい山や谷などの「自然」ではなく

 “善人”の仮面を被った“エゴイスト”(ひとでなし)

 つまり「人間」(観客も含めた“私たち”全て!)である

 彼女には、“善(意)”、言い換えるならば“人間らしさ”しか武器はない
 
 しかも、それは“芝居”の中の“現実”では、“悪”とさえ呼ばれよう。

しかし、この“母性”という“人間らしさ”こそ、

「ミヘル」を守る上で“最強”にして“最高”の“武器”なのだ!


 その一方で、“母性”(という“人間らしさ”)「ナテラ」には欠落しているという、

否定しようのない“事実”も存在するのだが・・・・


(これ以上は、“ネタバレ”になるが)

“確信犯”ブレヒトでさえ敢えて書かなかった“真実”を、


私たちは、今回の舞台を通して見て、“共感”するに違いない。


 
 本当に「母親」が必要なのは、“誰”かということに・・・・!


 
 そして、“いま”、稽古場では「グルシェ」と共に

「鈴来かえり」という役者もまた“成長”している。


それを見ることが、何よりも楽しい


オイオイ、お前も「役者」だろうが!・・・・という“ツッコミ”を受けそう(笑)だが、


 筆者は、あくまでも“似非(エセ)”「役者」である。・・・・悪しからず!


 
 6場では、「ユスプ」の家での「グルシェ」の“婚礼”が

“死んだ”筈の)「ユスプ」の乱入で“大混乱”(正しく、“カオス”・・・・笑)

のうちに
終わりを告げる場面での稽古。
 
 とにかく、「村人」連や歌手たちが


“右往左往”し、歌い、また“右往左往”のうちに捌ける、という正直“しんどい”(苦笑)場面。


 こんなのが、一日2公演あった日にゃぁ・・・・・もう、死んでしまう!?  



註1:野村修著『ブレヒトの世界』 1988年 お茶の水書房刊
 ※同書 V/「都市住民のための読本」(284頁)より。

註2:全文は『ベルトルト・ブレヒトの仕事 3 / ブレヒトの詩』
(責任編集・訳:野村修/共訳:長谷川四郎  2007年新装新版 河出書房新社刊)より。
 
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はじめまして

2018/06/30 15:22
★まずはご挨拶をどうぞ。
 演劇を中心に、自分の目で見て(観て)・耳で聞き(聴き)・そして考えることが好きで、ごくたまに
(“魔がさして”)舞台に立つこともありますが、「役者」になろうとする気持ちは“1ミリ”たりとて
ない・・・・そんな、“変”な人間です(笑)!普段は大学図書館で時間外スタッフとして、配架と整理
に追われる日々を送っております(司書資格あり)。


★ブログを書こうと思ったきっかけは?
 以前、別のプロバイダーでブログを書いていたのですが(主に観劇の記録)、色々事情があって書けなくなり、
プロバイダー移転で、ブログそのものが“消滅”してしまったので、もう一度、“ゼロ”から”の“リスタート”をしよう
と思ったから。丁度、今まさにタイトル通りの(?)“似非”「役者」をしているので・・・・

★どんなブログにしたいですか?
 もともと、「役者」になろうと考えたことなど“全く”ない私が、演出家さんや作り手の皆さん、或いは「お客様」
が求める「役者」になれるのか・・・・という、謂わば“人体実験”的な検証の記録にでもなればいいかな?
・・・・取り敢えずは(苦笑)

★どんな方たちに、あなたのブログを読んでもらいたいですか?
 勿論、(「時間」と」「お金」があれば、“無理”してでも)観劇レポも書いていきたいですし、こんな芝居の見方や
楽しみ方・考え方があるんだな程度に受け止めていただければ、一本の芝居を通して色々考える素材を提供して、作り手・観客双方が考えていただければ・・・・

★最後に一言!
 “似非”「役者」は、果たして“本物”の「役者」(「俳優」)になることができるのか・・・・どうか長い目で見てやって
くださいませ。
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“似非(エセ)役者”と、ブレヒトの“嘘”

2018/06/30 15:20
【稽古場日誌より・・・・】

 この日(6月28日/於:アクテノン@稲葉地公園)より、稽古(俳優館8月公演『コーカサスの白墨の輪』)
は、ほりみか先生によるステージング演出が始まる。

 実際の舞台(ちくさ座@吹上)を想定して、特に場面転換での歌(いわゆる、ブレヒト劇の「ソング」)と絡めた、舞台上での動き・振りの指導である。この日は10・11場の歌絡みの場面の動きと、12場(クライマックスの「白墨の輪」の裁判場面)最後の、民衆たちのダンスの振り付けが行われた。
 
 私は、役柄上ダンスの“輪”には加われないので、大リハーサル室(アクテノン5階)の奥から眺めているだけだが、実際“見よう見まね”でコッソリやってみるが

・・・・足の運び(ちょっとバレエ的なもの)がぁぁぁぁぁぁ・・・・

む、無理でござる(苦笑)。

その一方で、よく見ると、あれれ!?

“この場”にはいないはずの「奥方様」やら「弁護士2」まで、“当たり前”のように一緒になって踊っているではないか(笑)!

いくら、この日欠席者が多くて(計10人)、人手が足らないからと言っても・・・・

何とも“カオス”である。
 
「弁護士2」役の長見氏曰く、「本来、俺、出る必要ないんだよね・・・・」と苦笑しているくらいである。


  “カオス”と言えば、この日稽古の合間に“舞台写真”(というより、イメージ写真或いは、“ヤラセ”!?)を撮ることになった。
 お題は二つ。まず、「白墨の輪」の、「奥方様(ナテラ)」とヒロイン「グルシェ」が、子ども「ミヘル」を引き合う
場面。何しろ、「グルシェ」と「ミヘル」は“代役”を立てているので、
どこか“和気藹々”としているのは、まあ仕方ないとして・・・・

 問題は次の11場から居酒屋での移動裁判の場面。

 この場面で山賊「イラクリ」を演ずる私、どういう訳か「アツダク」(上田定行さん)の斜め後ろに立って、高笑いをあげてくれとなかさん(上演台本と演出)からの注文。

少々戸惑いながらも、
「・・・・じゃぁ、笑ってもよろしいですか?

 (こんな山賊役、マジであり得ねえ〜笑

と確認を取って、それきっかけで、

は〜〜〜〜っはははははははははははは」。

周りもつられて大爆笑・・・・

え、これって、こんな場面でしたっけ

※なお、この写真は後日、朝日新聞(名古屋市内版?)に今回の公演の紹介・告知記事と共に掲載される
そうです。ちなみに私は、子どもを引き合う場面では物凄い形相で睨みつけ(笑)、そして上田さんの後ろで
高笑いをしております。
暇つぶしに変なおじさん探しは如何でしょう?



 閑話休題。改めてこの11場で私が演じる「イラクリ」について考えてみたい。

 登場から開口一番、「放浪の隠者で。閣下」と名乗るのだが、

そもそも、「隠者」は

人里離れた森や山の奥でひっそりと暮らしている(或る意味、“世捨て人”)からこそ、“神秘性”がある

訳で、それが「放浪」つまり、

人間世界・“娑婆”をほっつき
歩いていること自体、あり得ない


(※
Die Bezeichnung » wandernder Eremit « ist widersprüchlich.
「放浪の隠者」という呼び名は矛盾している)。

 つまり、観客からは

明らかに“嘘”だとバレてしまっていることになる。

 しかし、ブレヒトは

敢えて「イラクリ」に対して「放浪の隠者」或いは「聖ヌスット」(Sankt/heilige Banditus)

という“嘘”を堂々と吐き通させて、“不信心”な「大地主」たちを懲らしめさせる。

しかも、「アツダク」さえそれに乗っかって

彼らに「有罪」&罰金刑(一人当て500ピアスター×2)という

“出鱈目”な判決を下すのである!
 

 これ以上は、所謂“ネタバレ”(もう、既にバレてしまっているが)になるので止めるが、

“嘘”と“出鱈目”の“茶番劇”を通してブレヒトが見せたかったのは、

「革命」ではないか、ということ。

 自分たち自身で考えて行動を起こす、

どんな“些細”なことでもいい

「芝居」という“嘘”を通して、

今生きている“現実”を見つめ直す(“批判的”に)
・・・・

それこそが、

“現実”の「革命」には“挫折”したものの、「演劇」という形での「革命」を“現実”に“実現”させようとした

「革命家」ブレヒトの、“したたかさ”ではないか?

 
 今、私の台本には赤ペンでこう記してある、

(“嘘”を)堂々と吐き通す!」と。


 ・・・・しかし、新たな問題が発生した。

 11場の最後、居酒屋からいつしかいなくなるはずだった「イラクリ」が、

「アツダク」たちと酒盛りに加わり、一転して“謀反人”「カツベキ」の晒し首が通りかかるのを見るや否や

民衆と共に逃げ出す

という形に変更になってしまったのだ!


 やっぱり、“似非(エセ)役者”の私は「イラクリ」(これは、ギリシア神話の「ヘラクレス」から由来)というよりは、

“へこにす”に戻って真っ先に逃げ出すのが性に合っているのではないか、と思う・・・・


呵々



※ズーアカンプ(Suhrkamp)のペーパーバック版(BasisBibliothek 基礎文庫/2017年第10版)
『Bertolt Brecht Der kaukasische Kreidekreis  Text und Kommentar』
(『ベルトルト・ブレヒト コーカサスの白墨の輪 〜テクストと注釈〜』)より引用。
なお、引用個所は、「隠者」の注釈部分(187頁)。
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